チェルシー。Tite st.3
4番地付近の町並み。高級住宅地とのこと。


これこれ、著名人が暮らした家には、青い記念のプレート、ブループラークがつけられている。


家の前景。観光客にいちいち写真を取られるこの家の中の人も大変だな。おちおちふとんも干せないや。

住人が不在なのか、手入れがなされていなくて、寂しげ。

こういう作りの家って、不思議なんだけど、ドアノブが、扉の中央のヘソみたいな位置についているんだよね。左下にあるアイアン・バーは、靴の泥を落とすためのもの。名前は失念。舗装化された現代では、装飾の意味合いが強いけど、昔はここで靴についた泥を落としたそうな。


隣の隣の家。緑の指の人がいるのか、イギリスらしい花の溢れる玄関構え。


近くにあったマーク・トウェインの家。家の造りここと同じだけど、壁にこんな絵が記されていた。

【Drawing Room】
さて、カドガンホテルのドローイングルームは薄暗くて、時代を感じさせる部屋であった。ダイニングとは違い、ドローイングルームなので、大きなテーブルなどは置かれていない。壁際にいくつかソファーや肘掛け椅子が置かれ、その前に小さなテーブルが置かれているだけだ。ラウンジやロビーというのとはちょっと違う。クラブやスナックとも違う。よくわからんが、これがドローイングルームというやつなんだろうと、納得することにした。

部屋に入ると、映画でよく見かけるような少し年をとった執事みたいな人が現れた。近くで見ると、なにげに背が高い。
まるで、わたなべまさこ先生の名作『ガラスの城』に出てくる忠実なる執事クロッキーのようである。なので、私はその執事にクロッキーと名づけてやることにした。
クロッキーは丁寧だった。強欲にたくさん頼もうとする私に、クロッキーは、それではおおいでしょうから、こちらがよろしいでしょうと、別の案を進めてくれた。私は、クロッキーに従うことにした。
クロッキーは、静かに茶器を運んでくれた。
茶器はウェッジウッドである。ナフキンにはホテルのマークの縫い取りがある。サイドテーブルが横に置かれた。茶が注がれる。茶はアッサムである。ストレーナーで茶が越される。少し濃いようだとホットウォータージャグが運ばれてきた。
菓子はまだかと待っていると、2段トレーが運ばれてきた。ホテルらしくスコーンは小ぶりである。フランス風だかスイス風だかわからないフルーツタルトもついている。例のあのアフタヌーンティの定番の3点セットである。スコーンをスコーンナイフで真っ二つに割って、クロデットクリームをたっぷり塗る。このクリームはケチってはいけない。たっぷり塗るのが流儀である。

パンといい、ケーキといい、スコーンといい、イギリスの菓子はなにもかもがみなボソボソである。このボソボソした菓子を茶で流し込む。これが英国紅茶の極意である。あくまで、主役は茶であって、菓子は茶で流し込むものなのだ。
パンは日本のしっとりとやわらかいパンであってはいけない。ケーキも日本のようにうますぎるケーキはいけない。逆説的だが、うますぎて、私は日本のケーキが嫌いだ。理由はうますぎるからである。コンビニで売っているサンドイッチもやわらかすぎて嫌いだ。日本のパンはパンというよりご飯だ。紅茶と呼ばれるものは、色のついたただの湯である。茶はもっと濃くなければいけない。ミルクも濃くなければニセモノである。

と紅茶について真剣に書きすぎて、本来の目的を忘れるそうになったが(素で忘れそうになった)そうだそうだ、ワイルドの部屋(なんか漱石の坊ちゃんの間みだいだな)について書いていたのだった。
で、結論を言うと、今日は常連客がいるからどうたらこうたらで、ワイルドの部屋は見せれないというとこであった。あんなに長い導入部を書いておいて、結論はこの1行である。ノォォォ!

くやしいので、チェルシー区タイト通りにあるワイルドが住んでいた家を見にいくことにした。(でも茶はうまかった。クロッキーも親切だった。ホテルの雰囲気もよかった)
ここからチェルシーは、スローンスクエア駅をはさんで反対側である。歩いていくにはちと距離がありすぎが、歩けない距離でもない。番地は事前に調べてある。タイトst.34番地。わかっているのは、通りの名前と番地だけであるが、逆に言えば、通りの名前と番地さえわかっていれば、家を見つけるのはそう難しいことではないだろう。
私はクロッキーに別れを告げ、タイト通りに向かうことにした。

【Tite st.34】
チェルシーは、文人達に愛され、トマス・モア、エリオット、マーク・トゥエインをはじめ多くの文化人が好んで住んでいた地区として知られている。ワイルドが住んだ34番地の家もこの街の一角にある。
ようするに日本でいうところの根津・谷中・千駄木みたいなものか?
ワイルドの家は、駅方向から歩いていくと、陸軍博物館の横の道を左方向に折れてすぐのところにあった。まわりには、著名人が住んでいたらしくブループラークがついた家がたくさんあった。
34番地は正式名称はわからないけど、ロンドン中でよく見かける赤いレンガのタウンハウスだった。現在は普通に一般の人が住んでいると聞いていたけれど、手入れがされていない様子で、もしかしたら今は空き家なのか、窓辺の花も枯れたままで、寂しげだった。この家は、裁判で有罪が確定すると、すぐに、差し押さえられた不遇の家なのだ。この家はロンドンの壮麗と汚辱を知っている。もし、逮捕されるようなことがなかったら、もっと多くの傑作がこの家で生まれたことだろうに。

それにしても、100年も前の家が今も普通に住宅として使用されているのは凄いと思った。と同時に日本の住宅の貧しさを知った。
日本ではそういうことはない。千駄木ある鴎外が住んでいた観潮楼は、現在文学館として保管されているし、漱石の猫の家は明治村に移築保存されている。樋口一葉の本郷の家は井戸しか残っていなけいし、乱歩の池袋の家(いわゆる幻影城)は立教大学が管理している。著名人が暮らした住宅に、100年経っても、子孫でもない人が普通に暮らしているなんて、日本ではまず聞かない。

イギリスでは家のほうが人間より長生きなのだ。イギリスの家には、人格ならぬ家格があるような気さえする。それに比べて持ち家願望が強く、そのせいで、1代すらもたない劣悪な家しか建てられない日本の貧しさといったらいったいどうだい。日本の家の寿命は短い。高い金を払って家を建てても、自分よりも寿命が短いなんて。絶対これって、諸悪の根源は持ち家願望だよな。私は日本の貧しさが身にしみた。

そんなことを考えてながら家を眺めているにうちに、次にロンドンに来るときは、カドガンホテルに泊まろうというアイディアが思い浮かんだ。部屋はそうだな、あの114号室がいい。あの部屋にしよう。100年以上前からあるホテルだ、次に来るときも、きっとまだそこに建っているだろう。そしてまたアフタヌーンティを楽しもう。


(訪問2005年7月6日)

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