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おれは運が強いんだ。こんなところで死にたくない。
 〜「エリア88」ベンデッツ報告〜
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2005年7月7日、滞在中のロンドンでテロに遭ったよ。
さらりと書いているけど、例の同時多発テロだよ。
ヒースロー空港で、通りすがりのチンピラに刺殺されずによかったよかったと思ったら、テロというとんでもない恐怖が待っていたよ。
おかげで足に怪我をしてしまった。といっても、歩きすぎて、水泡が出来ただけなんだけどね。ようするサンダル擦れってやつさ。しかも3日で直った。でも悔しいから、保険会社に足に怪我したと請求をしてやろうかと思ったが、規約を読んだら、テロと戦争は保険の対象外だった。プンスカ。

とまあ事件の重さのわりに、意識的に軽く書いているけれど、たいていの災害の場合がそうであるように、当事者というものは、情報が入ってこないので、わりあいに平然としているものなのだ。直接犠牲になった人や、直接犠牲者を目の当たりにした人でもなければ、渦中の人はことの大きさがわからず、想像している以上に冷静なものだ。 そして直接犠牲となった人々の哀しみは、我々の想像がつかないほど深いものなんだろう。

私はその日の朝9時過ぎに、地下鉄のサークル線かディストリクト線に乗ろうと、駅構内を歩いていた。しかし、駅員に「外に出ろ」といわれて、外に締め出されてしまった。代わりにバスで行けというので、バスに乗るが、今度は、バスの運転手に「バスから降りろー」といわれ、途中で降ろされてしまう。

私がこの日、向かおうとしていたのはラッセル・スクエアであったが、そのラッセル・スクエア駅で8時50分に爆破が起こり、さらに1時間後の9時47分に、地下鉄の代替えのバスが、同じくラッセル・スクエア付近で爆撃されたということを知るのは、ずっと後になってからのことである。
そんなことになっているとは知らない我々は、自分がテロ現場に向かっているとつゆも知らず、地下鉄が駄目なら、バス、バスが駄目なら徒歩があるさと、爆心地ラッセル・スクエアに向けてつき進んでいったのさ。

テロが起こったということは歩いている途中で知った。しかしその時はすでに地下鉄もバスもストップしていたんだ。交通は完全に麻痺していた。ホテルには戻りたくても戻れない状態だった。移動の手段は足だけだった。
おかげで歩いた歩いた。ベイカーストリートからブルームズベリーに向かい、そこからラッセルスクエアを経由して、オックスフォードストリートを通り、ピカデリーに足を進めたよ。

結局その日の夕方には、バスが一部で再開されたので、生き残っている路線を乗り継いで、ぐるぐる回った末にサウスケンジントンのホテルまで、たどりつくわけであるが、印象的だったのはロンドン市民がみな冷静沈着であったことである。地下鉄が止まろうが、バスがとまろうが、ロンドン市民はひとえに冷静であった。ストライキ慣れしているのか、テロなれしているのか、はたまた大英帝国の国民性によるものか、テロが起こってもいつもと同じ生活を続けていた。
もっとも、私が見たのは地上の様子だけだったけれど。地下で起こった流血は、私の目には届いてはいない。
テロはある朝突然に

地下鉄が封鎖されてため、代わりにバスに乗るが、突然「バスから降りろー。」運転手にいわれてバスを降車することに。
何だ?何だ?何が起こったんだ?
何が起こったかよくわからないままバスを降ろされる。
とりあえず、ベイカーストリートに向けて歩くことにする。
赤バスが消えた日 赤バスと赤シャツは似ている

いづれも空になったバスが、足早に走り去っていく。ロンドン名物2階建ての赤いバスが町から消えた。
フジヤマ・ゲイシャ・ソニー

ソニーセンターに集まる人々。情報を得ようとしているのか?
ベイカーストリート駅も閉鎖。
あとで知ったのが、サークルラインがやられたらしい。このお隣のエッジウェアロード駅 だそうだ。この路線は今日使う予定だった。
同じくベイカーストリート駅。
ロープを張られて、近寄ることができない。
ワトソン君、ロンドンを揺るがす大事件がおこったよ

「同時爆破テロですよ。地下鉄がやられました。」
シャーロックホームズ博物館のスコットランドヤードの警官にそう教えてもらう。

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