Slone St.にあるThe Cadogan Hotel全景。


入り口。看板もなにも出ていないので、見落としやすいよ。


ドローイングルーム。一見さんおことわりのオーラが流れていて、逃げ腰になるが、クロッキーは親切だったよ。


窓際の席。家具がみんな古いや。


ナイフはスコーンを二つに割るために使用するのだ。

これで二人前。黄色いのは、クロデットクリーム。これを二つに割ったスコーンに大量に塗って食べるのが流儀である。

イギリスでうまいものを食べたければ、朝食を3度食べろというのは、サマセット・モームの有名な言葉ですが、イギリスでおもしろい本を読みたければ、オスカー・ワイルドを3冊読めというのは、私が勝手にさけんでいる持論です。


【The Cadogan Hotel】
イギリスに行ったら、本場のアフタヌーンティを楽しみたいと思う人は多いことであろう。
かくいう私も銀座のブルックボンドの紅茶教室にかよう程度の紅茶好きであるので、(つまりかなり好きってわけさ、ヤン・ウェンリー提督万歳)イギリスに行ったら、やはりアフタヌーンティを楽しんでみたいと思っているうちの一人である。
ホテルとレストランはその街のイメージを決めるのに、大きな影響を与えるので、なるべくなら、思い出に残るようなとこでとりたい。となると、どこがよいであろうか。クリスティファンの人なら、ブラウンズに直行なんだろうけど、自分はどこがよいだろう?そう思ってどこか適当なホテルはないかと、ネットで探していたところ、オスカー・ワイルドが男色罪で逮捕されたホテルでアフタヌーンティを楽しんだ人の記事が目に飛び込んできた。

ワイルドが逮捕されたホテル?・・・こ、これだ!

私は好きな作家を3人あげろといわれたら、ワイルド、谷崎、乱歩をあげるぐらいの重度なワイルドファンである。自室の書棚には、なけなしの金を払って買ったワイルド全集が並んでいる。ワイルドが『ラヴェンナ』という詩で賞を取ってオックスフォードを首席で卒業したきけば、イタリアの片田舎にあるラヴェンナまで、はるばる出かけたこともある。

そのワイルドが逮捕されたホテルが、現代もあり、その問題の部屋も残っているというのだ。もうここしかない、このホテルだ。このガドガンホテルのドローイングルームでアフタヌーンティを取るのだ。迷うことはない。私の心は固まっていた。メールを出して、詳細を問い合わせてみることにする。
質問した内容は以下の通り。

・予約は必要ですか?
 →極力予約してくださるようお願い申し上げます。
・ドレスコードはありますか?
 →服装規定はございません。
・オスカー・ワイルドが逮捕された部屋が見たいのですが、可能ですか?
 →当日になりませんとわかりませんが、もし可能のようでしたら、お見せすることはできるかと思います。
・料金はいかほどになりますか?
 →返答なし
  
料金についての返答がなかったのが、少しばかり気になったけど、服装規定がないので、さほど心配するほどでもなかろう。ということで予約をお願いすることにした。ワーイ、オスカー・ワイルドゆかりのホテルだ。あとは当日を待つだけ。ワクワク。

【アクセス】
The Cadogan Hotel
地下鉄スローンスクエア駅から徒歩10分。Slone St.沿いにある伝統的な赤いレンガの建物。1階は普通にショップが入っていて、ホテルの看板もなにも出ていないので、うっかりしていると、見落として、通りすごしやすい。ワイルドの部屋は114号室。
Cadoganというのは、どうも地名らしい。近くにカドガン・ガーデンズという良く似た名前で、良く似た外観のホテルがあるので、間違えないように注意。地下鉄を利用するのが便利。

サークル線は、その名の通り、ロンドン中心部を丸く走っている線。たぶん歴史が古いラインなんだろう。東京の銀座線並みに浅いので、乗り降りがラク。階段をちょっと下りるだけですぐに電車にお目にかかる。永田町-赤坂見附間の殺人的に長くて深いホームを毎日「ちこく、ちこくぅ!」とパンを食わけながら走っている人間からすれば楽勝。こんだけ地下鉄が浅ければ、ガトガン・ウエストの死体を、車両の屋根に置くことも可能だろうなと思った。ノミと金てこと遮眼灯とピストルを持参すればよかった。ワトソンに電報を打って持ってこさせようかな。(それは『ブルースパディントン設計図/シャーロック・ホームズ』)

さて、このホテルを訪ねる前に先にオスカー・ワイルドについて語っておこう。(興味のない人は飛ばしてね)

【Oscar Wilde】
オスカー・ワイルドは、アイルランド生まれの19世紀末のイギリスの劇作家にて批評家。劇作家と批評家といっても、詩も書けば、小説も書くし、童話も書くので、ここではひっくるめて、文筆家とでもしておく。さっき、ホームズをあげたけど、このワイルドとホームズとは同時代の人。つまり、大英帝国華やかなりしころのビクトリア朝のロンドンに活躍した芸術家ってわけだ。マイ設定では、ワイルドの戯曲上演中の劇場で、とある子爵家のご令嬢を巻き込んだ不名誉な事件が起こり、その事件がホームズの所に持ち込まれるのだが、その依頼人というのがたいへんな美貌の青年で・・・と、そんな与太ごとはどうでもいいのでこの際、横に置いておく。
まあ、つまりは彼の書く作品は、いかにもビクトリア朝ぉって感じの上流中産階級層の紳士淑女が登場して、この時代のファンの人には嬉しいっていうことだ。ついでに、どの話にも美貌の青年貴公子が出てきて、そこはかとなくソドミーの香りが漂うのもポイント。それもそのはず、彼は有名な男色家なのだ。

代表作は『ドリアン・グレイの肖像』『サロメ』『幸福な王子』『獄中記』『芸術論』など。そう、ワイルドというのは、子供ころ誰もが読んだ『幸福の王子』の作者なのである。ビアスリーの妖しい挿絵が有名な『サロメ』もこの人の作品。BL・耽美小説愛読者の基本図書に指定されている『ドリアン・グレイの肖像』も、代表作として名高い。
また、ワイルドの本領は劇作家と批評家にあるとはよくいわれるところで、本国イギリスでは、ワイルドの戯曲はシェイクスピアにつぐ上演会数を誇るともいわれている。『まじめが肝心』『ウィンダミア卿夫人の扇』など、どれも警句と逆説に満ちた絶妙な会話のやりとりで、ビクトリア朝社会を批評しつつ、笑劇として、最上級のものとなっている。

私が好きなのは『アーサー・サヴィル卿の犯罪』というミステリー仕立ての話かな。あと変わったところで、イートン校出身の美青年が、シェイクスピアの14行のソネットは、シェイクスピアが愛した少年に捧げられたものではないか?という仮説を立て、友人とともにシェイクスピアの性癖に迫る謎解き物語『W・H・氏の肖像』ってのも、(ホモ臭くて)おもしろい。うーん、どの話もみんな坂田靖子の漫画みたいだな。

ワイルドは、世紀末という言葉が似合う人だ。彼は大変な伊達男で、逆説と警句がちりばめられたウィットに飛んだ話術と文で、人々を魅了し、劇作家として成功を収め、社交界の寵児となる。
ところが、そんな結婚もして子供にも恵まれ、劇作家としての名声も得た彼が、人生の頂点から一転して奈落の底に突き落とされる事件が起こる。それが、クリンズベリー侯爵、三男のアルフレッド・ダグラスと同性愛問題である。

ここで、ワイルドの名前を有名にしたこの出来事の概要をかいつまんで話そう。

ワイルドは前述の通り男色の趣味があるわけだが、意外なことに、この手の趣味に染まったのは遅く、結婚して子供が生まれてからのことであるといわれている。どうやら学生時代からの悪癖ではないようだ。彼はこの世界に引き入れたのが、ロバート・ロスという17歳のカナダ人の青年だった。この罪作りな青年は、祖父がカナダの初代首相という名門の出身であった。そしてロスに導かれたワイルドは、この性癖に染まっていく。

こうして1891年1月、彼が出会ったのが、彼を地獄に落とす元凶となるクイーンズベリー侯爵の三男、美貌の小悪魔アルフレッド・ダグラス卿である。
このときワイルドは37歳、ダグラスは21歳。ダグラスはパブリックスクールの名門ウィンチェスターを出て、ワイルドも学んだオックスフォードの学生であった。
二人が親しくなったそもそものきっかけは、ダグラスの兄にあたる人が、弟をゆすっている連中のいざこざをなんとかしてほしいとワイルドに哀願してきたことに始まるらしい。
で、なんで、そういう関係になったか不明だが、二人は16歳の年の差と性別を越え、恋人関係になるわけだ。まあこのダグラスというのが、写真を見た限りでは、相当な美形なんで、その辺も関係しているかもしれない。

ところが、この時代、同性間での性交というのは犯罪であった。道徳的にそれはまずいだろうというのではなくて、本当に犯罪。処罰対象の犯罪であった。
ちなみにこの同性間の性交を禁止する法律を作ったのは、ヘンリー8世らしい。むむむむ、自分はかなり奔放なことをやっていたくせに。この法律が発令された1533年って、日本じゃ、信長や信玄が衆道の真っ只中の時代じゃん。ところ変われば、かわるものだ。

さて、おもしろくないのは、ダグラスの父クリンズベリー侯爵である。自分の息子が男と恋人関係になるわ、二人でいかがわしいところに出入りして男娼を買うわと、おもしろくないことこの上ない。
二人の交際を快く思わないクリンズベリー侯爵は、ワイルドに嫌がらせを開始する。このクリンズベリー侯爵というのは、一種の偏屈狂で、これの他にもやっかいごといくつもおこすような、ようするに困ったちゃんだったらしい。そして、ダグラスとの親子仲はもともとよろしくなかったようだ。侯爵は、ワイルドの戯曲が上演される劇場にキャベツを投げ込むという低脳ないやがらせを試みする。ところがこれが見事に失敗。怒った侯爵は、アブノーマル倶楽部に「色男家を気取るワイルドへ」という名刺を置いて帰る。
これに対し、ワイルドは、侯爵を名誉毀損で訴える。これは自発的な行為というより、かねてより父と不仲で、おやじをぎゃふんと言わせたかったダグラスに炊きつけられてのことらしい。結果的にワイルドは、クイーンズベリー侯爵親子の骨肉の争いに巻き込まれたわけだ。

ところが、ダグラスの企みも虚しく、侯爵には無罪の判決が下る。そして、逆にワイルドが男色罪(正しくは複数の男子といかがわしい行為をした猥褻罪)で訴えられてしまう。弁護士はただちに国外逃亡を薦めるた。しかし、彼はがんとしてそれに従わおうとしない。従わないばかりか、ダグラスに会いに行こうとする。そして、このカドガンホテルにいるダグラスを訪ねてきたところを逮捕されてしまうのだ。
1895年のことであった。それは『ブルースパディントン設計図』事件がおこったのと同じ年である。

ふー、やっとつながった。

これを書くのに、なんて長い説明をしなければならなかったのだろう!


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